「上屋抽梯」  むかーし、むかーし、武州(武蔵の国)に幸隆と言う男がおったそう な。  この男、武芸学問は人並以下であったが、子供の頃からずる賢しこく、 おまけに口が巧くて、人を丸め込んだり、調子を合わせるのに長けてお ったそうな。  幸隆の父上や兄上はそれは優秀な人で、朝廷にも顔が利く侍の家に仕 える身分の者達じゃった。  幸隆が成人して主取りする事になった時、兄の推挙で兄と同じ主人に 士官する事になったそうな。  同じ頃、やはり幸隆の兄の推挙で仕官した義之なる男がおったそうな。  義之と言う男、幸隆と違い質実剛健な人物であったが、口が巧みでな いため、人になかなか理解されない人じゃった。  しかし、幸隆の兄は義之のその真面目なところに惚れ込み、主に士官 を世話したばかりか、自分の妹まで娶らせたそうな。  それから何年かして、同じく武州のある侍が、家は小さいながら家人 を求めていると言うので、幸隆は求めに応じる事にしたそうな。  しかし、幸隆の兄は弟の本質を良く知っているために、心配でしよう がない。そこで、妹婿の義之も幸隆と同じ侍に仕官させる事にしたそう な。  義之は嫌がったが、幸隆の兄が是非にと頼み込むので、仕方無く幸隆 と共に士官をする事になったそうな。  仕官した先の主は、それは非常に良い人で、幸隆と義之を大変可愛が ってくれ、幸隆は家執を、義之には家人頭の地位を与えてくれたそうな。  そうして小さきながらも、主従は助け合って家を支えて行ったのじゃ った。  しかし、実際には家の面倒の一切を義之がやっていて、幸隆は他家と の付き合いの宴や主の前の仕事だけを一生懸命やっていたそうな。  また、時には義之の手柄を、さも自分の手柄の様な物言いも時にはし たそうな。  義之は、そんな幸隆の態度に腹を立てる事もあったが、家人達は皆、 義之の苦労を理解してくれているし、それに幸隆は妻の兄であるため、 じっと我慢をしておったそうな。  そうしてまた何年かしたのち、主には子がないため養子を迎える事に したそうじゃが、一族に養子に迎える人物が見あたらなかったため、家 人の誰かから養子を迎えようと考えおった。  主が考えたのは、幸隆もしくは義之の子であったが、幸隆には男子が 居なかったために、義之の子を養子に貰おうと考えたそうな。  しかし、その頃義之の子はまだ幼かったので、一旦義之自身を養子に 迎えようかと考えたが、主の目には今までの仕事ぶりから、義之では他 家の付き合いがうまく行かないだろうと思い直し、幸隆に義之の子を養 子に迎える事を条件に幸隆を養子に迎える事にしたそうな。  そして、幸隆を養子に迎え、義之を家執に引き立ておった。  しかし暫くして、主人は流行病であっけなく亡くなってしまいおった。  主の家督を継いだ幸隆は妹婿の義之と共に家を支えておったが、ある 日、幸隆に待望の男子が誕生したそうな。  幸隆は大層喜び、子の成長を楽しみにしておったが、その子が成長す るに連れ、その子が幸隆自身を小さくした様なところが目につき始めた そうな。  幸隆は「この子は、家を支える器ではない」と、思い始めおったそう な。  それに対して、義之の子は気弱ながらも優れた人間である事が幸隆自 身を初め、家の子郎党に到るまで分かり、日増しに義之の子に人望が高 まっていきおった。  先の主の遺言で義之の子が家督を継ぐのを皆知っておったので、その 人気は大変な物だったそうじゃ。  それを見ていて、幸隆は当然面白ろうない。一旦は、義之の子を養子 に迎える事を考えおったが、幸隆の妻が熱心に解くので、その内欲が出 てきて、なんとかして自分の子に家督を継がせたいと考えるようになっ たそうじゃ。  しかし、それには義之と義之の子が邪魔になる。  この二人を如何にして除く事が出来れば、自分の子に家督を継がせる 事が出来るのじゃが…  幸隆は考えおった、そして、義之自身を取り除けば、亡き主人の遺言 も反古に出来るだろうと考えおった。  しかし、義之は口が巧くなくてもその態度で示してきたおかげで、家 の子郎党はおろか、他家にも人望が少なからずあった。そのため、いき なり義之を取り除く事は出来ないと判断した幸隆は困ってしまったそう な。  そんなある日、滅多に行かない書庫にふらりと立ち寄った幸隆の足元 に一冊の書物が落ちていたそうな。  手に取ってみると、それには「三十六計」と書かれておった。  パラパラと頁をめくっている内に、幸隆はある文章を見つけたそうな。  「なになに…上屋抽梯…そうか!」  幸隆はその文章を見るなり飛び上がって喜びおった。  「これで、義之を除ける」  早速、幸隆は家人を集めると、こう言いったそうな。  「長い間苦労を共にしてき家執の義之には今まで何一つ報いていなか ったが、そろそろ義之にもゆっくりして貰いたい。本日より、義之を家 執からわが子の守役取締に命ずる事とする」  家人一同驚いたが、今までの義之の苦労してきた姿を知っているだけ に皆口々に「ご苦労さまでした」と、喜んで義之の労をねぎらったそう な。  しかし、いざ義之が守役になったとは言っても、幸隆の子には既に何 人かの守役がいたので義之の役はそれらの報告を聞くだけのものじゃっ た。  義之は「しまった、閑職に回された」と思いおったが、幸隆が本当に 自分の事を思って楽な仕事をさせているのだろうと考え、我慢しておっ たそうな。  暫く我慢してこの仕事に甘んじておったが、義之はやがて幸隆の真意 を悟ったそうな。  そこで、義之は幸隆に隠居を申し出る事にしたそうな。  もちろん、隠居してもそこは妻の兄の事だから、最低限の捨て扶持は くれるだろうと、考えての事じゃった。  しかし、幸隆はあっさり義之の隠居を認めると、すぐさま義之の領地 までも召し上げてしまったじゃった。  義之一家は路頭に迷う事になったそうじゃ。  幸隆の兄も、この弟の所行に大いに怒りおったが、悲しい事に、この 事は他家の事情であり、彼は今の主の家執まで出世しておったので、手 出しは一切できなかったそうな。  しかし、このままでは妹夫婦が哀れに思えて、義之の子を相州(相模 の国)の知人に紹介し、士官させてあげたそうな。  義之一家は相州に行きったそうじゃが、行って間もなく義之は失意の 内に亡くなってしまったそうな…  …ところで、義之には2人の男子があったそうな。  長男は先に述べた通り、相州の侍に仕官しおった。  次男はと言うと、義之が幼い時に高野山に預け、出家させていまった そうな。  一方幸隆と言うと、自分の策が巧く行ったので喜び、あとは自分の息 子が立派に成長するのを楽しみにするだじゃった。  十数年の経ったある年、日本中を飢饉が襲いましたが、なぜか幸隆の 領地だけは豊作になったそうな。  幸隆は不思議に思って領地の農民に聞くと、皆口々に「若い高野聖が、 わしらに効率の良い作物の育て方を教えてくれた」と言っておった。  幸隆はその言葉を聞いて、「きとくな坊さんもいるものだ」と、大し て気にも留めずにいたそうな。  幸隆は豊作で収穫された穀物を朝廷や都の貴族に献上し、それを機会 に朝廷に顔を売る事に成功したそうな。  大臣の覚えもめでたく、感謝のお言葉まで賜ったので、幸隆は調子に 乗って朝廷に進出しようと考え始めたそうな。  その後幸隆がお得意の口で貴族達を丸め込み、都に進出して朝廷に地 下人ながら出仕する事に成功したそうな。  幸隆が何かやる度に朝廷での幸隆の地位は向上して行きおった。  当然、幸隆の口の影で犠牲になった人や、幸隆の出世を妬む輩もだん だん増えていきったそうな。  しかし、幸隆はどんどん出世していき、その速度ははた目には異常に 映ったそうじゃ。  幸隆の地位がある頂点を迎えたある時、幸隆はほんの些細な失態で朝 廷を逐われ、また過去の罪状まで引っ張り出され、おまけに身に覚えが ない罪まで負わされ、一家斬刑の罪を言い渡されてしまいおった。  京の六条河原の刑場で今まさに首を切られようとしている幸隆の元に 一人の高野聖がやってきたそうな。  役人は気を効かせて、暫く聖と幸隆を二人っきりにしたそうな。  聖は幸隆と暫く話し込んでいたそうな。  聖の話しを聞くに連れ、幸隆の顔はまるでその場で血を抜かれたよう に蒼白になって行ったそうな。  まだ首を落とされていないのに、死人のような顔をしている幸隆を背 にして聖は立ち去って行ったそうな。  聖が都の人々が大勢見物している竹囲いの所まで来ると、検死役の検 非違使に呼び止められたそうな。  「あいや、聖殿。しばらく」  「なにか…?」  静かに振り向く聖に、検非違使は言ったそうな。  「一つお聞かせ願いたい。あの男、先程聖殿の古い知り合いと申して おったが…」  「如何にも」  「聖殿の話しをするに連れ、あの男がまるで死人のような顔になって ござる、如何なる説法をしたのか、よろしければ手前にもお聞かせ願い たい」  聖は、暫く黙って目を閉じていましたが、やがて静かに目を開けると 言ったそうな。  「そなたは、”上屋抽梯”と言う言葉をご存知か?」  「都合の悪い仲間を上手に外す手段でござろう?」  検非違使は、事もなげに言ったそうな。  「如何にも、都の貴族は除こうとする人物がいたら、まず相手の地位 を向上させ、些細な失態を起こせば罪をかぶせ責任を追求する。何事も 起こらなければ、更に相手の地位を向上させ相手が失敗するのを根気強 く待つ、それを常策にしておざる。あの男、昔自分が使った手で今度は 自分の首を絞めた事を教えたのでおざる」  その言葉を聞いて検非違使は、  「左様か…」 と、一言言ったきり、首切り役人に対して刑の執行を指示したそうな。  幸隆一家は刑場の露と消えたそうな… 藤次郎正秀